この前、腹が立ったことがあるので・・
今日はぼやかせてください~~。


私はこの前から、京都市の聴覚障害児対象のボランティアを
週末など時間が合う時に参加している。

詳しいボランティアの説明は省略するけど、とりあえず、
週末や長期休暇などに聴覚障害がある子どもを預かって
一緒に宿題をしたり、プールに行ったり、他の聴覚障害児みんなで
遊んだりする、いわば地域の児童館がやっているようなことをする。

この前、そのボランティアの学習会があって参加した。
今回は夏休みのボランティアということもあり、
地域の手話サークルの人たちや大学生の参加も多かった。


それはいいのだが・・・・


8月に1日、みんなでプールに行って遊ぼう!という企画をやることになった。

その日に行けるボランティアを募ったところ、9名の参加表明があった。
ほとんどが女性だったかな。

で、ボランティアの指揮者がその人たちに

「当日はプールなんですけど、水着でプールに入れますか?」

と聞いたら・・・・・・


「水着でプールに入るのはいやです。
プールの際に座って見ていても大丈夫ですか?」



と・・・・・。


コイツら、何ふざけたことを言ってるんだろう(゚Д゚;)



相手にする子どもたちは、みんな耳が聞こえない子どもたちなんだよ!?
しかもプール入る時はみんな当然、補聴器をはずすから聞こえないんだよ?

何かあっても、上から呼ぶこともできない。
アナウンスがあっても子どもたちは分からないんだよ??


相手が聞こえる子どもたちなら、プール際にのんびり座って、
何かあれば大声を出して子どもたちを呼べば間に合う時もあるだろう。


でも、聞こえないんだよ!?それができないから、「水着でプール入れますか?」と
聞いてるんだけど・・・・。


というか、聞こえる子どもが相手のボランティアの時でも、当然水着でプールに
入ることになると思うんだけど・・・。


他にも、子どもになにかあった時、子どもたちは聞こえないから声でボランティアを呼んで
状況を説明することができない。
そのためにも、ボランティアは子ども1人につき1~2名つきっきりで傍にいる必要がある。


それなのに・・・。


もしかして皆さん、聞こえる子どもたちと同じ感覚でボランティアに参加してんの?



聴覚障害児のボランティアに参加したい、と参加表明をしてくれた人だから、
ある程度知識はあると思ってたんだけど、そうじゃないんだな。
むしろ全く知識がない状態になっている。怖いなと思った。


それを他のボランティア(ろう者)にお話したら、

「まぁ、それでもこれからボランティアをしていくことで分かってくると思いますから・・・」

と言われた。

まぁそれもそうなんだけどな・・・
何かあってからじゃ遅いから、ある程度の知識は持った上で
ボランティアに参加してきてほしいなぁ・・・と思ったのでした。


ほんとに、ボランティアって何だろうね。

ボランティアはラテン語で「自由意思」という意味があると聞いた。
自分の自由意思で人をサポートする。

でもその中に、自分の優越感というか、自分はこの障害者たちより上なんだから、
「してあげてるんだ」という気持ちが入ってないだろうか?
知識がなくても、「なんとかなるだろう」と思っていないか?

そういう人たちって、ボランティアをして、家に帰ったら家族に

「私、今日、障害児と一緒に遊んだり勉強したりしたのよー」

と自慢げにお話しするんだろうな・・・・。

ともかく、障害児と関わっている自分に酔っているというか・・・・。

でもそれでも、障害がある子どもたちは、そういう大人たちであっても、助けを
借りないといけない。
私たちも同じく、そういう人たちであっても、助けを借りないといけない場面に遭遇する。

ボランティアって難しい。


ともかく、聴覚障害児も、同じ聞こえないボランティアがいれば何かと助かることも
多いだろうし、同じ聞こえないボランティアがいて、手話で話せるとやっぱり嬉しいだろうし。

それだけでなく、聞こえない大人たちを見ることで、将来の夢を抱ける場合もある。

また、他の聞こえるボランティアも、聞こえないボランティアがどうやって聴覚障害児と
接するかを見て、聴覚障害児と接する方法を覚えていけるかもしれないし。


なので、これからも頑張ってボランティアを続けますー。
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