ここ最近、又従妹(はとこ)の結婚式があった。
本当はもう1年くらい前に入籍を済ませているのだが、子どもが先にできたため1年後の結婚式となった。
彼女は結婚記念日と息子のお誕生日を一緒にしたかったのか、息子のお誕生日に結婚式を挙げた。
まず結婚式をして、その後式の終わりごろに息子が本日で1歳になったことを告げ、息子へみんなでHappyBirthdayを歌った。
そして最後には息子が生まれた日から今までの息子の写真をスクリーンに映し出していた。
その息子の名前は、(うーり)という。
最初それを聞いた時は、変な名前だと正直思ったんだけど、
本人に聞いたら、
「私がイノシシ年生まれだから、イノシシの子どもという意味で、「うーり」と名付けたの」
と言われた。
それも変わった発想だけど、なるほどな、と思った。
彼女は子どもを自分の分身としてとらえているのだ。
そして、自分の結婚式を息子のお誕生会で締めたくらい子どもを愛しているということがよく分かった。
実に心温まる式だったと思う。
そして今日は、私のおじいさんの7回忌。
おじいさんはすごく優しくて一度も怒ったことがなかった。
さみしがりで、一度おじいさんの家に遊びに行った時にたまたまおじいさんが風邪をひいていた。
すると、おばあさんが
「みんなにうつるから、自分の部屋で寝てなさい」
と言った。
そしたらおじいさんは、
「いいや、ここで寝る。」
と言って、布団をみんながいる部屋に持ってきてみんながいる部屋で寝た。
そして、風邪がうつらないようにふすまを引いて寝ていた。
2階に行って1人だけで寝るより、1階にいてみんなの声を聞きながら寝ていたかったんだろう。
そんなおじいさんは、私が小学校の頃、
「耳が聞こえなくて大丈夫なのか」
「いじめられていないのか」
「先生は優しくしてくれるのか」
「おともだちはたくさんできたのか」
などなど・・・
おじいさんに会いに行くたびにいつも心配してきた。
ある時、おじいさんの家に行くとたまたまおばあさんもいないときがあって、
おじいさんと2人きりになったことがある。
その時に多分初めて、おじいさんとたくさんお話をした。
おじいさんは、おばあさんとの出会いや結婚したときの思い出などをたくさん
話してくれた。
そのときのおじいさんの嬉しそうな顔はよく覚えている。
そしておじいさんは私に言った。
「まみも、いい人を見つけて結婚しなさいよ。
楽しみにしています。」
今日はそんなおじいさんの7回忌だった。
おじいさんが死に、そのあとに弟が結婚し子どもが生まれ、従弟も結婚して子どもが生まれ・・
こないだは、はとこが結婚してすでに子どもがいる。
そして、私は思った。
人の生と死はどちらも尊いんだなぁと。
死は悲しい。
生は嬉しい。
でも、死があってこそ、その死が語り継がれ、またひとつ新しい命が生まれ、
それが繋がって繋がって・・・そして広がっていく。
人が生まれて、人が死ぬということはどこかでつながっている。
今日は、生と死を2つ感じた日でした。
本当はもう1年くらい前に入籍を済ませているのだが、子どもが先にできたため1年後の結婚式となった。
彼女は結婚記念日と息子のお誕生日を一緒にしたかったのか、息子のお誕生日に結婚式を挙げた。
まず結婚式をして、その後式の終わりごろに息子が本日で1歳になったことを告げ、息子へみんなでHappyBirthdayを歌った。
そして最後には息子が生まれた日から今までの息子の写真をスクリーンに映し出していた。
その息子の名前は、(うーり)という。
最初それを聞いた時は、変な名前だと正直思ったんだけど、
本人に聞いたら、
「私がイノシシ年生まれだから、イノシシの子どもという意味で、「うーり」と名付けたの」
と言われた。
それも変わった発想だけど、なるほどな、と思った。
彼女は子どもを自分の分身としてとらえているのだ。
そして、自分の結婚式を息子のお誕生会で締めたくらい子どもを愛しているということがよく分かった。
実に心温まる式だったと思う。
そして今日は、私のおじいさんの7回忌。
おじいさんはすごく優しくて一度も怒ったことがなかった。
さみしがりで、一度おじいさんの家に遊びに行った時にたまたまおじいさんが風邪をひいていた。
すると、おばあさんが
「みんなにうつるから、自分の部屋で寝てなさい」
と言った。
そしたらおじいさんは、
「いいや、ここで寝る。」
と言って、布団をみんながいる部屋に持ってきてみんながいる部屋で寝た。
そして、風邪がうつらないようにふすまを引いて寝ていた。
2階に行って1人だけで寝るより、1階にいてみんなの声を聞きながら寝ていたかったんだろう。
そんなおじいさんは、私が小学校の頃、
「耳が聞こえなくて大丈夫なのか」
「いじめられていないのか」
「先生は優しくしてくれるのか」
「おともだちはたくさんできたのか」
などなど・・・
おじいさんに会いに行くたびにいつも心配してきた。
ある時、おじいさんの家に行くとたまたまおばあさんもいないときがあって、
おじいさんと2人きりになったことがある。
その時に多分初めて、おじいさんとたくさんお話をした。
おじいさんは、おばあさんとの出会いや結婚したときの思い出などをたくさん
話してくれた。
そのときのおじいさんの嬉しそうな顔はよく覚えている。
そしておじいさんは私に言った。
「まみも、いい人を見つけて結婚しなさいよ。
楽しみにしています。」
今日はそんなおじいさんの7回忌だった。
おじいさんが死に、そのあとに弟が結婚し子どもが生まれ、従弟も結婚して子どもが生まれ・・
こないだは、はとこが結婚してすでに子どもがいる。
そして、私は思った。
人の生と死はどちらも尊いんだなぁと。
死は悲しい。
生は嬉しい。
でも、死があってこそ、その死が語り継がれ、またひとつ新しい命が生まれ、
それが繋がって繋がって・・・そして広がっていく。
人が生まれて、人が死ぬということはどこかでつながっている。
今日は、生と死を2つ感じた日でした。
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コメント
コメント一覧 (4)
が、人とつながってこそ、
生きてる証拠となるんだと、よく思います。
子育ても大変だけど人間にとって一番大事な仕事だと思うし、
親や祖父母への感謝も忘れちゃいけないし
その面倒もいずれ見ないといけないかもしれないし
お盆とお彼岸にはお線香を絶やせないし
旧い友人とのつながりや新しい出会いも大切だし
そうやって
ちっぽけだけど、みんなつながってるんだね~
もうそんなになるんだ~と思いつつ、いなかのしがらみを感じつつ。
都会に居るとつい忘れがちになりそうな人付き合いっていうのか、
なんかそういうものを感じましたね~。
めんどくさくはあるけど、そういうのもいいんじゃないかって思いマシた。
人と人というか生と死の繋がりと思う
体験談だけど、ペットの犬が死んだときめっさ悲しかったけど、
ペットの魚が死んだとき涙でなかった
魚が大好きな人だったらやっぱり悲しむのかな
愛情の違いなのか、生き物の違いなのか
そこんとこわかんないんだよね
そうだよねぇ。人間はひとりひとり、ちっぽけなんだけど、前も後も繋がってるんだよね~。
お墓参りに行くと特によく感じます。
先祖がいてお父さんがいてお母さんがいたからこそ 今の私がここにいるんだなぁって。[/色]
[色:3300FF]>DISKY
17回忌か、長いんだねー。
そういえば、故人の回忌って何回まで続くんだろう。
素朴な疑問でしたw[/色]
[色:FF3300]>アココ
難しい問題だねー。
自分とどれだけ関わったかにもよるかもしれない。
魚だと、そんなに自分と関わったとかコミュニケーションをとったとかそういうこともなく、ただ餌をやって。。。で終わっちゃうから、その分悲しみも薄いとかあるのかも・・・
逆に犬とかだったら、自分と毎日毎日関わってるし散歩にも行くし触れ合いとかコミュニケーションもとったりするわけだからその分自分の心の中に深く棲みつくし それで悲しみも深いのかもね。
でも本当はひとつひとつの命はどれも重いはずなんだよね。
難しいなぁ。[/色]