今日は久しぶりに真面目な日記で~す。

まず皆さんは、聞こえる人が通う学校のことを何と言いますか?
一番多いのは、

「普通校」

だと思います。
次に、

「聞こえる人の学校」

これも多いんじゃないかな。

でも私は前から疑問に思ってました。

小学校の頃、私は難聴学級といって、「普通の小学校の中にある、
聞こえない子どものクラス」に通ってました。
それは、「統合教育」といわれ、簡単に言えば「健常者と
障害者の子どもたちがともに教育を受けること」とも言われて
たんだけど、そのとき、「聞こえる子どものクラス」のことを

「親学級」

と呼んでいました。
つまり、聞こえる子どもたちのクラスが「」で、
聞こえない子どものクラスが「」なわけです。

当時は全くなんとも思わなかったけど、今思うと、おかしいな。。と。

身体的に言えば、やはり聞こえないよりは聞こえる方が「健全」
であり、それが「普通」であるというのが今の社会であるし、
その考え方からすれば、「聞こえる」方が「聞こえない」方より
上である、ということで、「聞こえる」子どもが「親」であり
「聞こえない」子どもは「子」という見方をするということ
です。

それと同じで、聞こえる子どもたちが通うそこらへんにある
学校のことを「普通校」といい、聞こえない子どもたちが通う
学校のことを「聾学校」という、と教えられて育ってきました。

その言葉・・・

聞こえない子どもは決して「普通」ではない。
ともすれば、「普通」より「劣る」存在であると。

そういうふうに受け取れます。

確かに、五体満足であることが良いというのは誰もが思うことであり、
五体満足であること=普通なのだ、と思うのは当然、というのは
理解はできます。

だけど、それと、「普通」という言葉を使う、ということは
別だと思います。

聞こえる子どもが「普通」で聞こえない子どもは普通ではない・・

こういう解釈が出来るような言葉使いは、決して使ってはならないと
思います。


「障害者も対等に社会参加を!」

「障害者も平等に暮らせる社会を!」


そう叫ぶならば、
その前に、「普通」という言葉使いを改めてはどうか、と思うのです。


聞こえること、五体満足であること、
これらは全て優位であるとは言い切れません。


では、「普通校」という言葉からどういう言葉に変えればよいのか?
「聞こえる人の学校」?
これもおかしいですね。
聞こえる人による聞こえる人のための学校・・・
そこに聞こえない子どもは入れないようなイメージがあります。

実際は、聞こえない子どもも「聞こえないから入れない」のではなく
自由に入れるようにすべきであるし、聞こえない子どもが入学を
希望した場合はそれなりの対応が出来るように体制を整えるべきだと
思います。

そういう意味では、「聞こえる人の学校」という言葉もおかしい。

では・・・

他にどういう言葉がふさわしいのでしょうか?
皆さんの考えが聞きたいです。
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